2012年03月12日
前回の続きになります。
その日が過ぎ、何事もないかのように次の日が始まるのかと思っていましたが、そこからが本当に大変でした。原子力発電所が次々と爆発し、一時コントロール不能に陥ったことです。
日本に住む外国人がパニックに陥り、仕事も投げ出して帰国してしまうという状況が発生しました。私の職場でも何人かの外国人スタッフが仕事に出てこないで、長期休養を理由に帰国してしまう人が何人かでてしまい、ただでさえ大変な状況の中、ハードな労働をこなさなければなりませんでした。それでも物流が停滞し、コンビニやスーパーで品薄が続く中、休むことなく私の仕事場のお店でお客さんにお食事を提供できたことは、少し誇らしい思いがしました。
その後、東京でも放射能が検出され、水がなくなるという騒ぎがありました。自販機ですら、真水が買えなくなったのですが、どこの自販機も売り切れなのに、なぜか私がいつも通っている駅裏の自販機の水は、一度も売り切れることがありませんでした。
このあと復興に向けた動きが始まっていくなか、この混乱した状況の中で、被災地の支援に真っ先に駆けつけた女装子さんが何人もいました。私には募金をすること、家庭を守ることぐらいしかできませんでしたが、本当に身も心も美しい女装子さんがいたことには驚かされました。
こうして思い出してみると、日本人の潜在的な力を再確認させられます。きちんとたどり着くべき将来像を描くことができれば、きっと豊かな日本を取り戻せると思います。